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「君が代起立」訴訟・最高裁判決での宮川光治裁判官の「反対意見」に感動した――都条例改正問題とちょっとだけリンクさせてみる


Category: 表現規制問題   Tags: ---
 昨日(11年6月7日)、いわゆる“君が代起立命令”をめぐる裁判で、最高裁判決が出ました。
 公立学校の卒業式などで「君が代」斉唱時に教員に起立することを命じる校長の職務命令が、「思想・良心の自由」を保障した憲法19条に違反しないかが争われたこの訴訟で、最高裁は「合憲」との判断を下しました。

 今回の判決で最高裁は、「君が代」を歌いたくないのに教諭を起立させる校長の職務命令は、「(思想・良心の自由を)間接的に制約する面は否定しがたい」と認めつつも、卒業式などの教育上の儀式において、それにふさわしい秩序と円滑な進行を確保するためには、「君が代」斉唱時に起立しようとしない教諭を強制的に起立させる命令は「必要性、合理性がある」として、「合憲」との結論を導いています。

 ちーけんは「君が代」斉唱時に歌いたくない個人を強制的に立たせるような職務命令は、明白に日本国憲法19条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」に違反するものと考えています。

 この点、今回の最高裁判決や、「君が代」に起立しない人間を批判する立場の人は、非常にざっくりとまとめてしまえば、こういうことを言っています。

「そりゃ、君が心の中で何を考えようと自由だ。それは憲法19条が保障してるとおりだよ。でも、それが一度“心の外”に出てくることになったら、それはもう“心の中”のこと、つまり思想や良心の自由からハミ出ちゃうものなんだから、憲法で守ってもらえると思ったら大間違いだよ」

 このような考え方に対して、ちーけんを含む反対派の人間は、

「文字どおり“心の中”のことしか自由を守ってくれないなんて、そんな憲法に何の意味があるの? 心の中で思ったことを身体で表そうとするのが人間じゃないの? 心の外に出てきた“行為”まで憲法が守ってくれるって考えるのは当然だよ。そうじゃないと意味がないじゃん」

 という考え方で、「君が代起立命令」は違憲だと考えます。

 残念ながら今回の最高裁判決は、「たしかにそういう面はあるけどねぇ…」とは言いつつも、ほぼ全面的に前者の考え方に立つものでした。
 ところが、その中でただ一つ、救われるできごとがありました。
 最高裁判決は通常、5人の裁判官で構成される小法廷で下されますが、今回の判決を下した最高裁第一小法廷の5人の裁判官のうち、宮川光治裁判官(弁護士出身)は判決に反対し、「反対意見」を述べたのです。
 もちろん、判決は5人の裁判官の多数決で決まりますので、最終的な判決としては、「君が代斉唱時に教諭を強制的に立たせる職務命令は合憲」という判決になっているわけですが、宮川裁判官が判決文に付した「反対意見」は、非常に内容に富むものでした。

 今回の最高裁判決については、もちろんほぼ全紙が報じていますが、中でも朝日新聞ではこの宮川裁判官の「反対意見の要旨」を、ちーけんが確認したかぎりでは全国紙で唯一掲載しています。

 「なんで国歌を歌うことぐらいできないんだよ」
 「卒業式でちょっと我慢して立つぐらい、教員ならやって当然だろ」
 「君が代を歌いたくないなんて、ただのわがままだ。保護する価値はない」

 宮川裁判官の「反対意見」には、最近多い上のような考え方に反論する際の有力な論拠が、それもとても冷静かつ論理的な意見として記されています。
 ネットのアサヒコムなどでこの「反対意見の要旨」が掲載されていないか探したのですが、残念ながら出ていないようです。
 ですので、自分で新聞記事から文字に起こして、当ブログで引用させていただきました。
 以下、宮川光治裁判官の「反対意見要旨」です。

 憲法は少数者の思想・良心を多数者のそれと等しく尊重し、その思想・良心の核心に反する行為を強制することは許容していない。

 国旗に対する敬礼や国歌の斉唱は多くの人々にとっては自発的な行為であり、起立斉唱は儀式におけるマナーでもあろう。しかし、そうではない人々が相当数存在している。「日の丸」「君が代」を軍国主義や戦前の天皇制絶対主義のシンボルであるとみなし、平和主義や国民主権とは相いれないと考えている。少数ではあっても、そうした人々はともすれば忘れがちな歴史的・根源的問いを社会に投げかけているとみることができる。

 本件職務命令は、直接には元教職員らの歴史観、世界観、教育上の信念を持つことを禁じたり、これに反対する思想を強制したりするものではないので、一見明白に憲法19条(思想・良心の自由)に違反するとは言えない。しかし、不起立不斉唱は思想・良心の核心の表出であるか、少なくとも密接に関連する可能性がある。

 多数意見(今回の判決)は、起立斉唱行為を一般的、客観的な視点、いわば多数者の視点で評価している。およそ精神的自由権に関する問題を多数者の視点からのみ考えることは相当でない。

 割り切って起立し斉唱する者もいるだろう。面従腹背する者もいるだろう。起立はするが、声を出して斉唱しない者もいよう。深刻に悩んだ結果として、あるいは信念としてそのように行動することを潔しとしなかった場合、その心情や行動を一般的でないからとして過小評価するのは相当ではない。

 1999年の国旗・国歌法の施行後、都立高校において、一部の教職員に不起立不斉唱があっても式典は支障なく進行していた。こうした事態を、起立斉唱を義務づけた都教委の2003年の通達は一変させた。卒業式に都職員を派遣し、監視していることや処分状況をみると、通達は式典の円滑な進行を図る価値中立的な意図ではなく、前記歴史観を持つ教職員を念頭におき、その歴史観に対する強い否定的評価を背景に、不利益処分をもってその歴史観に反する行為を強制することにある。

 合憲性の判断にあたっては、通達や職務命令をめぐる諸事情を的確に把握することが不可欠だ。

 法律学の知識がないとわかりにくい部分もありますが、宮川裁判官が言おうとしていることはおわかりいただけたのではないでしょうか。
 判決が出た後の、ネット上での反応などを見ていると、この宮川裁判官の「反対意見」について、「起立命令は合憲」だとする立場の人々から批判が出ています。
 それは、上のほうで書いたような、「教職員のわがままを許すのか」「国旗国歌を否定するのか」といったものですが、誤解していただきたくないので少し解説させてください。

 上の「反対意見」の中で、宮川裁判官は、「君が代を歌いたくないならば一切立たなくていい。個人の自由は無制限に認めるべきだ」と言っているのではありません。
 宮川裁判官は、校長の職務命令の根拠となっている東京都教育委員会が03年に出した通達は、一部の教職員を“狙い撃ち”にするものであり、そのように特定の思想を持つ人間だけを対象に、個人の自由を制限するような通達や職務命令は「違憲」だと言っているのです。
 本当に卒業式を秩序立てて円滑におこなうための命令じゃないでしょ? 日の丸君が代に反対する人間を弾圧したいけどあからさまにそんなことは言えないから、「卒業式を円滑におこなう」とか誤魔化して命令してるだけでしょ? と、宮川裁判官は「反対意見」の中で言われているのです。

 教諭たちが持つ「君が代日の丸に反対する思想」を正しいと宮川裁判官は言っているわけではなく、そのような思想を持っているからといって狙い撃ちにするような法律や命令は許されない、そのような法律や命令は「思想・良心の自由」の保障を定めた憲法19条に違反すると言っておられるのです。

 これがきわめて冷静で、また中立的な考え方であることは、すぐに理解できると思います。
 たぶん、もし時代が大きく変わって、日の丸君が代を歌い尊重する人々が、君が代を歌ったからといって弾圧される世の中になったとしても、宮川裁判官は「そのように特定の思想を持つ人々を狙い撃ちする法律や命令は違憲だ」と言われるでしょう。
 どのような思想を持つ人間であれ、そのような思想を持つことを理由に迫害されることは、日本国憲法のもとでは、ひいては現代民主主義社会においては、絶対にあってはなりません。

 すでにお気づきの方もいるかもしれませんが、今回の「君が代起立命令」訴訟における以上のような議論は、東京都の改正青少年健全育成条例をめぐる議論に、かなりの部分を応用できます。

 「頭の中でいくらエロいことを考えててもいいよ。でも、それを表に出すな! どうしても描きたいなら、人目につかないようにしろやゴルァ」

 都条例改正賛成派の考え方をきわめてざっくりまとめると上のようなものになりますが(笑)、法的にいえば、もちろん表現の自由と公共の福祉の限界の問題などが出てくるという意味で、君が代訴訟とまったく同列に考えるわけにはいかないにせよ、人間の内心、思想、良心と、その表現としての行動との関係を考える際、2つの問題はとても似ている面があります。

 君が代なんて歌いたくなーい >>> 思ってるだけにしろ。立たないとかいって人に迷惑かけるな

 エロいこと大好きー >>> 思ってるだけにしろ。それを表現して、青少年や見たくない人に迷惑かけるな

 また、「反対意見」の中で宮川裁判官が言われている、

「およそ精神的自由権に関する問題を多数者の観点からのみ考えることは相当ではない」

 という考え方が、改正都条例を考える際に大変示唆に富むものであることは言をまちません。

 憲法19条の「思想・良心の自由」の保障を大変狭く考える今回の最高裁判決については残念の一言ですが、宮川光治裁判官の「反対意見」には、ほんの一筋ですが光明を見る思いがしました。
 ただ、これからどんどんこういう類の光明は細くなっていく世の中であることは間違いありませんが…。

 こういう最高裁判事がまだいることをありがたいと思うとともに、「反対意見」についてぜひ広く知っていただきたく、ざざざっとブログにまとめてみました。

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Comments

 
大変興味深く読ませていただきました。
今回の判決に対しても、都条例の青少年育成法に対してもモヤモヤしたものを抱えていたので、こちらの記事を読むことができ少し気持ちが晴れました。
私も広めたいと思います☆
 
 
うーん、理論的な言い訳にしか見えないけど…
 
とても考えさせられました 
初めてコメント致します。非常に勉強になる内容でした。そうですよね…
何だか自分の頭の中でモヤモヤとしていた思いが、文章になってきちんと整理されたかのような気持ちになりました。
少数者の意見や考えを表明することが単なる「わがまま」とされ、行動を強制されるような世の中ではまずいと思います。宮川氏のような方が司法の世界にいらっしゃると知り、まだ救いも光もあると感銘を受けました。
…そも「強制ということにはならないように」とは、以前天皇陛下もおっしゃっていました。個人的には、国旗や国歌を少数者を虐げる「道具」におとしめるような人々こそ、最も国旗や国歌をないがしろにしているように思えたりもします。
 
 
つうか、そもそも「君が代」や「日の丸」を、「強制される」と感じる発想自体が気味悪いんですけど
 

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