ネクラで眼鏡でキモオタな優等生は“受け”るとイイよ!

委員長、地味な真面目くん、オタク少年…そんな“優等生受け”BLが大好きな腐男子のブログです~。

 

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[レビュー]世界の名著『論語』を腐った目で読んでみた――ちーけんのオススメカプは、子路×顔回です!(もちろん優等生受け)


Category: レビュー その他   Tags: ---
論語新釈 (講談社学術文庫 451)論語新釈 (講談社学術文庫 451)
(1980/01/08)
宇野 哲人

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 私、トイレでも活字がないと落ち着かないほうなんですが、ほら、あれってトイレの中にいる時間って事前に予測できないじゃないですか。
 なので、『ギリシャ・ローマ名言集』とか、『萩原朔太郎詩集』とか、『ラ・ロシュフコー箴言集』とか、ピアスの『悪魔の辞典』とか、岩波書店版『世界の名言集』とか、一節が短くていつでも読み終われるものを家のトイレに常備してます。

 で、その中の一冊に、講談社現代文庫版の宇野哲人『論語新釈』というのがあります。

 孔子の言行録を弟子がまとめたものとされる儒教の聖典『論語』については今さら説明は必要ないと思います。
 岩波文庫版をはじめとして、日本中世界中で『論語』やその解説本は出版されてますが、中でもこの宇野哲人氏が昭和4年に著した『論語新釈』は、長らくその決定版とされてきました。
 中国文学の権威であった宇野氏の詳細な解説が一章毎に付され、難しすぎず易しすぎず、600ページ以上ある分厚い文庫本ですが、読み通せばなんとな~く孔子の思想の入り口が覗けたような気になれます(笑)。
 ちーけんは、ウ○コするたびにこの本を手にとっては適当なページをパッと開き、踏ん張る時間の長さに応じてページをめくってまして、まあ大体毎日トイレには入りますから、すでにこの本は3度読み返してるぐらいの計算にはなるかな~と。
 一章がどれも短いですから、上掲の他の本と同じく、トイレに置いておくには最適の本なんですよね~。

 さてこの『論語新釈』は、もちろん戦前の大家が書いた本ということもあり、なかなか重々しい中身の本ではありますが、決して堅苦しくはありません。

 論語の原文の一章ごとに宇野氏の詳細な解説が付いていくスタイルの文章を読んでいくと、「あ、孔子もやっぱり人間だったのね(ほっこり)」みたいな気持ちになることが多々あります。

 そんな“ほっこり感”に初めて気づいたのは、『先進編』第25章を読んだときです。

 この章では、ある春の日に弟子たちが孔子を囲んで会話をする様子が描かれています。
 孔子が弟子たちに「お前たちが世に用いられたならば、いったいどんなことをやりとげられると思うか、おのおの言ってみなさい」と質問を投げかけ、弟子たちが次々と思うところを述べるという章です。

 孔子の弟子にはいろいろな人がいますが、中でも勇敢なことで知られたのが「子路」でした。
 この章でも、並み居る弟子たちを押さえて、子路は真っ先に口火を切って、師である孔子に答えます。

「私は、戦車千台を出すような大国同士が争っている間に挟まれ、その上に飢饉に襲われているような国でも、政治を任せてもらえれば、数年の間に民を豊かにして、戦争にも負けない国を作る自信があります」

 『論語』では、子路の威勢のいい言葉を聞いた孔子が微笑したと書かれています。

 続けて他の弟子たちが「私は小国ならば治められます。民の不安を取り除き、良風美俗の国を作ります」とか、「私は礼楽のことをつかさどり、主君が天子に対して礼を失わないようにしたく思います」とか口々に言い、最後に孔子が一人の弟子の言葉に「お前の言葉に賛成しよう」と言ってこの章は終わります。

 最初にこの章を読んだとき、ちーけんの頭の中には、孔子をはじめとした難しそうな顔をした人たちが高尚な会話をしている堅苦しい情景が浮かびました。
 まー、原文は(当たり前ですが)漢字だらけの漢文ですし、どうしてもそういうイメージになりますよね。

 ところが、すぐ後に付された宇野氏の解説にはこう書いてありました。

「この章を読むと、師弟の間に和気が藹々(あいあい)として春風が座に満つる様が眼前に浮かぶのである」


 ええーっ!
 マジデスカー!(笑)

 この宇野氏の言葉は、ちーけんにはかなり目からウロコでした。
 そうか、孔子や弟子っていうと、なんだか堅苦しいイメージだったけど、こういう読み方もあるのかと。
 それ以来、他の章でも、宇野氏の解説に導かれて、活き活きとした孔子や弟子たちの姿が浮かぶようになったのです。

 ところがですよ。

 そうなったら困ったことが起きたのです。

 孔子の弟子の中でも、2人の男子がなんだかやけに、ちーけんの目の中に飛び込んでくるようになってきたのです。
 1人は、先ほどの章でも登場した弟子、子路クンです。
 勇敢で知られた男子だというのは上でも書きましたが、論語を読んでいくと、本当にこの子路という男子は、ヤンチャというかもの怖じしないというか一本気で真っ直ぐというか、そういう豪快系ワンコ男子なんですよ。

 例えば、『郷党編』18章では、雉(キジ)が空を翔び集まるようすを孔子が見て、「キジは翔るも集まるもその時を得ているなぁ」と感嘆したと書かれています。
 ところが、その後にこんな文章が続いています。

 子路、之に共(むか)ふ。三たび鳴いて作(た)つ。

 せっかく、師である孔子が美しい鳥たちを眺めて感嘆しているのに、子路は「よし! 師匠のために俺が捕まえてきてやるぜ!」とでも思ったのでしょうか。
 鳥たちのほうに走っていくとそれを捕まえようとしたため、キジは3回鳴き声をあげるとそのまま飛び立ってしまったというのです(笑)。
 古来、この章は意味が難解だとされ、さまざまな解釈がされているそうですが、それにしてもここでの描写は、子路という男子の性格をよく現しています。

 このような子路の直情径行な態度は、師である孔子にもたびたび向けられました。
 『論語』の中には、子路が孔子に歯向かったり文句を言う場面がたびたび出てきます。
 『雍也編』26章では、孔子が衛の国にいたとき、不品行で有名だった衛王の妃・南子(なんし)に謁見したことを、弟子である子路が「王妃とはいえ、なぜあのような女と会われたのですか」と怒ったという場面が出てきます。

 また『子路編』3章でも、衛の国の政治をどうしたら正せるかという問答をするなかで、子路が「先生のやり方は遠回りすぎます!」と孔子に言う場面があり、孔子に「お前は軽率で考えが足らないぞ」とたしなめられるのです。

 他の弟子で、このように師である孔子にズバズバと物を言った人間はいません。
 そしてここが面白いところだと思いますが、では子路が孔子のことを尊敬していなかったかといえばまったくそんなことはなく、『論語』を読むとわかりますが、子路の「師匠LOVE」っぷりは弟子の中でも群を抜いており、『論語』に登場する弟子の中で、一番登場回数が多いのもこの子路です。
 さらに、これも『論語』に接すればよ~くわかるのですが、孔子自身もこの一本気な弟子を可愛がり、目をかけていました。

 例えば、『公冶長編』6章。
 孔子は当時の中国で正しい「道」がおこなわれないことを嘆き、「こうなったらもう筏(いかだ)に乗って海に浮かび見知らぬ国へ行こう」と言うのですが、その後にこう続けたのです。

「その時、私に付き従ってくれるのは子路だけだろうなぁ」

 これを聞いた子路の喜ばんことか。
 もしそんなことを本当に実行したら危険な旅になるであろうに、数多くの弟子の中から1人だけ名前を挙げてくれたのですから、「師匠LOVE」な子路からしたらもう有頂天です(笑)。
 ところが、あんまり喜んだのを見た孔子は、一言言っておかねばと思ったようです。
 子路を嬉しがらせた後で、孔子はこう付け加えてもいます。

「子路は勇ましいことが好きなのは私以上だが、それだけじゃ駄目だぞ」

 宇野氏は解説で、孔子は、子路を褒めあげたあとで頭を押さえ、「なにくそ」と思わせることで子路をさらに成長させようとしているのだ云々ということを言われてますが、よくこの2人の師弟の関係がわかる章ですよね。

 じつは、先ほど挙げた、春の日の孔子と弟子たちの対話の章も、あの後には続きがあります。
 「お前たちの思ってるところを言ってみなさい」と言われた弟子たちの中で、子路が真っ先に口火を切って勇ましいことを言い、それを聞いた孔子が微笑したというのを覚えておられますでしょうか。
 宇野氏は、あの孔子の微笑は、「他にもたくさん弟子がいるなかで、まったく子路は礼儀を知らないというか、威勢だけはいいのだから」という微苦笑だったと解説されてます。
 そして、他の弟子たちはみな、「あっ お師匠が子路のことを笑った…!」とわかって、その後はずいぶん謙遜したことを言ったのに、子路だけは最後までわからず自信満々だったのです。
 大好きな師匠に認めてほしくて、真っ先に駆け寄っていくワンコ系男子と、それをよくわかったうえで上手くあしらうお師匠様。
 本当は他にも、孔子が病気で死にそうになったときに、勝手に盛大な葬式を手配しようとして、孔子から「私の身分ではそのような豪華な葬儀は礼に反するから不必要だ」と怒られる子路や、「子路は穴の開いた毛皮の衣を着るような貧乏をしても、そんなことを恥ずかしいとは思わない立派な人間だ」と褒められてまたまた有頂天になっちゃった子路が、やっぱり続けて孔子から「そこで満足せずにもっともっと立派になれ」と言われたりとか、この2人の話はまだまだ『論語』に出てくるのですが、いいかげん長くなるので、ひとまずこのへんで。

 さて、ここまで読んでいただいて、さてはお前は「子路×孔子」の下克上年下攻めカプか! とお思いになった方もいるかもしれません。
 ……そう思っていた時期が、たしかに私にもありました(嘘)。
 すいません、違うんです(笑)。
 先ほど、『論語』を読んでいると2人の男子が目について困ると書きましたが、ここで登場するのが、ちーけんが気になっちゃう男子その2である「顔淵」(がんえん)です。

 顔回は、孔子がもっとも愛した弟子といわれる男子です。
 品行方正で秀才、孔子の教えをもっとも理解し、『論語』の中で、子路にはあれほど「お前はもっとがんばれ」と言っている孔子が、顔回に対しては一言もそんなことを口にしたことがありません。

 例えば、『雍也編』9章では、ストレートに「子曰はく、賢なるかな回や」と褒めていますし、同じく『雍也編』5章でも、「顔回の心は何ヶ月でも道から外れることがない。他の弟子たちは、何日に1回、何ヶ月かに1回しかそういう境地に達していない」と称賛しています。
 また、顔回自身の言葉もいくつも『論語』には収められており、顔回が孔子の教えについて「先生の行われている道は、登っていこうとすれば行くに従ってますます高くなりとても登り切ることができない。道が自分の前にあると思い歩いていけば後にあるようなありさまで、とても学びきれるものではないが、先生はこんな私をよく導いてくださった。おかげで、高くてその頂上を見ることすらできず、自分の前にあるか後にあるかすらわからなかった『道』が、今では自分の前に高くそびえていることだけは見えるようになった」というようなことを言っている章があったりします(『子罕編』10章)。
 子路とのこの違いはどうでしょう(笑)。
 ずっと褒めっぱなしです。

 ところが!

 顔回は30代の若さで早世してしまうのです。
 孔子が嘆かんことか。
 顔回の死を悲しむ孔子の嘆きは、『論語』で何度も出てきます。

 有名な章ですが、『先進編』8章では、このような場面が出てきます。

「顔淵死す。子曰はく、ああ、天われを喪(ほろ)ぼす。天われを喪ぼす」

 顔淵というのは顔回の別名です。
 孔子は、自分の教え=「道」は、顔回にこそ受け継がれると思っていました。
 その弟子が死んでは、もう自分の教えを受け継いでくれるものは誰もいない――。
 その悲しみが上のような嘆きを孔子に口にさせたのです。
 また、同じく『先進編』9章では、顔回の死をあまりに嘆き悲しんで慟哭する孔子に、弟子の1人が「先生、お悲しみはわかりますが、度が過ぎれば礼に反します」と言ったところ、「そんなにも私は嘆いていたか。だが、顔回が死んだのを悲しまずして、他の誰を悲しむというのか」とまで言ったと書かれています。

 また、死後も長く孔子は顔回のことを忘れられませんでした。
 魯の国の君主から、「お弟子さんの中で心から学問を好む方はいますか?」と孔子が聞かれた場面が『雍也編』2章に出てきます。
 ここでも孔子は「顔回という者がおり、心から学問を好んでいて、無用に怒ることもなく、過ちを繰り返すようなこともなく、よく修養していましたが、不幸にも短命で死んでしまいました。今は弟子の中に他に学問を好む者はおりません。また、天下を見回しても、顔回より学問を好んだ者はいないでしょう」と答えたと記されています。

 顔回は、孔子から何か教えを受けると、「私は愚かな者でありますが、今の先生のお言葉を一生忘れずにおこなっていきます」と言ったというような忠実な弟子だったと『顔淵編』1章にも描写がありますが、孔子がこれほど悲しんだのもよくわかる気はしますよね。

 さて…。

 この顔回を一言でいえば「優等生」だというのは、みなさんよくおわかりかと思います。
 そして、当ブログをいつも読んでくださってる方には従前ご承知のとおり、ちーけんは大変に「優等生受け」というものが好きでして、じつは『論語新釈』を最初に読んだときから、この顔淵というキャラには魅力を感じていたのでした(笑)。
 孔子の弟子では、他にも「子貢」(しこう)という秀才がいました。
 こちらは、顔回のような人格円満、君子然とした秀才とは違い、どちらかというと才走った感じの秀才クンだったようなのですが、この子貢も相当な秀才として世に聞こえた人です。
 『公冶長編』8章では、孔子が子貢に対して、「お前と顔回とでは、どちらが勝っていると思うか?」と聞く場面が出てきます(てか、なんでそんなこと聞くの? という気もしますが・笑)。
 その時、子貢ですらこのように孔子に答えています。

「どうして私と顔回が比較できましょうか。顔回は一を聞けば十を知りますが、私は一を聞いて二を知るにすぎません」

 うむ!
 これは相当な秀才っぷりですよね(笑)。
 子貢のような才走った感じの秀才クンにすら、「私はかないません」と言わせるだけの人格と才能が顔回には備わっていたというのがよくわかります。
 学園ものBLでいえば、クラスのみんなから信頼されるクラス委員長――。
 それが顔回という、孔子がもっとも愛した弟子なのであります。

 さあ、これで役者が揃いました…!(ゴゴゴゴゴゴ ←地響き

 そうです。
 ちーけん大好きな優等生キャラである、孔子最愛の弟子・顔回と、ヤンチャで単純で威勢だけはいい豪快系男子・子路。
 これはちーけんに、子路×顔回で妄想してもいいよ! と孔子が仰っているに違いありません!(絶対違う

 いやいやいやいや、みなさんの言いたいこともわかりますよ。
 素直に、子路×孔子の年下攻めでなんで駄目なんだと。
 ちなみに、子路と孔子は9歳差だと言われてます。
 弟子の中でも、子路は一番の年上の弟子でした。
 まあ、年下攻めとしてはちょうどいい年齢差ではあります(笑)。

 でも、なんだかちーけん的には、孔子って受けキャラとしての魅力をあまり感じないんですよね。
 完璧すぎて。
 儒教においては、孔子は完全無欠の君子とされているわけですが、これって学園ものBLで言うと、みんなに慕われる物静かなクラス委員長というよりは、財閥に生まれ顔よし運動神経よし成績良し、女にもモテモテで、教師にすら恐れられているような、「カリスマ生徒会長」みたいなタイプだと思うわけですよ。
 ちーけんは、ネクラで眼鏡でキモオタな“優等生受け”は好きなんですが、ああいう完全無欠のカリスマ型なスーパースターキャラには、あまり食指が動かんのです。
 例えていえば、島あさひ先生や藤崎こう先生が描かれるスーパー攻めキャラみたいな感じ?
 そーゆーのが受けるからいいんだよ! という意見があることは重々承知ですが、やっぱりそれならいかにも秀才! しかも物静かでネクラ! な匂いのする顔回受けに惹かれます。

 そして、子路と顔回のポジションを考えてみれば、さらにその美味しさが浮かんできます。
 師である孔子に褒めてほしくて褒めてほしくてたまらない、“師匠LOVE”な子路の目の前には、いつでも顔回が澄ました顔で師匠の横にいるのです。

「先生、見てくださいよ! 俺、すごいでしょ!」

 なのに、孔子が褒めるのはいつだって顔回のことばかりです。
 弟子仲間も、みんな顔回のことが大好き。
 いつも自分と仲のいいもう一人の秀才・子貢ですら、顔回のことは一目も二目も置いています。
 どんなに頑張っても、孔子は子路のことを見てくれません。
 ちくしょう…。
 そんなに、あのほっそりして色白で眼鏡かけて先生の言うことばっかりよく聞いて頭よくて性格までいい優等生のことが、みんな可愛いのかよ…!!!

 うん、ちーけん的には、子路の孔子への愛は、どこまでいっても師弟愛だと思うんですよね。
 子路は本当に孔子のことを尊敬してるんです。
 そこに肉欲はない!(びしっ)
 気になっちゃうのは、いつも師匠と自分との間を邪魔しているように見える、同じクラスの優等生のほうなんですよ。

「あいつ、いつかギャフンと言わせてやる…。あんなオ○ニーも知らないような可愛い顔して…!」

 思春期少年のライバル心は、いつか違うものになっていって…あああっ!!!!!!

 じつは、『論語』の中で、孔子と顔回、そして子路の3人が登場する場面はいくつかあります。
 その中で、ちーけんがたまらん! と思うのは、『述而編』10章です。

 この章は、孔子と顔回の対話から始まります。
 孔子が、やっぱりいきなり顔回を褒めるのです。

「この世の中で、天の教えを行うのも退くのも、時を失わずに正しく行えるのは、ただお前と私の2人だけだろうな」

 と。

 何度も繰り返しますが、弟子の中でこれほど褒めてもらえるのは、ただ顔回のみです。
 これを横で聞いていたのが子路でした。
 子路は、顔回だけが褒められたことが悔しかったのでしょう。
 横から口を挟むかのように、孔子に向かって言うのです。

「師匠! 先生が大国の軍隊を指揮して戦争するとしたら、誰と一緒にやりますか!」

 いやもう、ちょっとこのセリフ、読むだけで笑っちゃいませんか。
 孔子と顔回が高尚な哲学論を話し合ってるのに、横から、いかにも勇敢な自分を褒めてくれ! とでもいうように、無理やり話題を戦争なんかに引っ張り込んじゃおうとする子路のこのセリフ(笑)。
 お前空気読めよというか、いくら何でも強引すぎるだろと誰もが思うところですが、もちろん子路は、「戦争をするならば、勇敢なお前とやろう」と孔子が言ってくれると思って、こんなことを言い出してますよ。

 なのに…。

 孔子は、子路の望む答えを言ってくれるどころか、子路は怒られてしまうのでした。

「虎と素手で戦ったり、大河を徒歩で渡ろうとするような向こう見ずなことばかりして死を恐れないような人間とは、私は一緒にやらないよ。戦争のような重大なことを一緒にやれるのは、物事に謹み恐れて当たることができ、はかりごとを成し遂げられるような人間とだけだ」

 この章のこのセリフから、四字熟語で「暴虎馮河」という言葉が生まれたほど有名な章でもありますが、もちろんここで「向こう見ずで死を恐れないような人間」と言われているのは、子路のことです。
 うわっ、子路かわいそう…(笑)。
 褒めて褒めてオーラを全開にしたのに、ピシャリと孔子にやられてしまいました。
 その横には、「子路くん、気を落とさないでね…」とでもいうような本心からの心配を顔にあらわしている優等生・顔回の姿が…。
 きっとこの夜、子路は学生寮のベッドで「顔回のやつ…!」と言いながらゴロゴロ転がって、壁を蹴りまくったに違いありません。
 私の言いたいこと、わかっていただけますでしょうか(笑)。

 さて、最後に子路の名誉のために書いておけば、なんだか糞味噌に言われてるような子路クンですが、もちろん孔子は子路のことを評価もしています。
 『論語』の中で、子路のことを「裁判をやらせたら的確な判決を下せるのは、子路である」と褒めたり、子路の弾く琴の音が殺伐としていると孔子が言ったことを聞いた他の弟子たちが子路のことを馬鹿にしたときには、子路をかばって「子路の弾く琴の音が雅でないからといって、子路が立派でないということではない。子路は、お前たち他の弟子と違って、一段高いところにいる」と、子路が優れていることをわざわざ言ってフォローしたりしています。

 それにしても、やはり思い出されるのは、宇野氏が書かれた「この章を読むと、師弟の間に和気が藹々(あいあい)として春風が座に満つる様が眼前に浮かぶのである」という解説です。
 『論語』の中では、さまざまな登場人物が出ては消え出ては消えしていますが、何度も読めば読むほど、孔子と彼を囲む弟子たちが「和気藹々」と学問するようすが、目の前に浮かんできます。
 まさに宇野氏の言葉のとおりの光景が見えてくるのです。
 そのさまはちょっとした学園ものBLの世界のようでもあり、腐った読者にさまざまな妄想を許してくれる広さがあります。
 時間さえあれば、『論語』で二次創作したいなーと思うくらいです。
 マジに『コミpo!』とか使って、子路×顔回マンガ作ろうかな(笑)。

 ちなみに、ここまでご説明しても、子路×顔回のよさをわかっていただけない、わからずやな子路×孔子カプな人のために、以下のリンク(青空文庫)を貼っておきます。
 『李陵』や『山月記』で有名な中島敦の短編小説『弟子』です。
 これは、子路を主人公にした小説で、一種、『論語』の二次創作みたいな趣がある名作なのですが、子路×孔子カプに興味がある方は、読むとニヨニヨして悶えまくると思います。
 ぶっちゃけ、私も『弟子』を読んで、一瞬、子路×孔子もいいな…と思っちゃったくらいで。
 ご参考まで!

 それでは、長々とお付き合いくださった方がもしいたとすれば、本当にありがとうございました。
 宇野哲人先生の『論語新釈』は、妄想するしないを別にしても、当然ながら大変な名著です。
 こちらも機会があれば、ぜひご一読をオススメいたします!
 分厚くて高いですけど(笑)。

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