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都条例改正推進派・前田雅英教授が『警察学論集』10年6月号に書いた判例解説を読んで、都条例改正問題についてあらためて考えたこと


Category: 表現規制問題   Tags: ---
 都条例改正の緊迫した情勢からは遠い話題ですが、都条例改正の推進派のイデオローグである前田雅英・首都大学東京教授が、今年6月の『警察学論集』に、「ネット社会と名誉毀損」と題する判例解説を寄稿しているのを読みました。「2ちゃんねる」や個人のHP上で、匿名のユーザーが書き込んだ第三者への中傷が刑法上の「名誉毀損」に当たるとして起訴された事件につき、前田教授が法律的な解説をしたものです。

 最初にざっくり書くと、この種のネット上の名誉毀損について、それが犯罪として成立するかどうかを考える際、法的には2つの立場があります。

 第1の立場は、インターネット上で中傷がなされたとしても、中傷された側は同じインターネット上で反論をおこなうことが可能であるから、名誉毀損罪が成立するケースは限定的に考えるべきだというもの。
 第2の立場は、ネット上で中傷が行われれば、ひとたび損なわれた名誉を回復することは困難であり、広く名誉毀損罪の成立を認めるべきだというもの。
 前田教授は『警察学論集』の中で、明確に第2の立場をとり、「反論できると言っても、被害者が反論をおこなうこと自体が、名誉毀損をさらに拡大させるものだ」と言っておられます。

 この根っこにあるのは、ネット上での書き込みを含めた言論行為、表現行為一般について、言葉や表現というものは、一度でもそれに触れた人間に、消えることのない影響、傷、感情を植え付けるものであり、それは事後的に消し去ることができないものだという考え方です。後からの反論など無駄である、何を言っても最初の中傷は消えることはないのだというものですね。
 この考え方には、もちろん頷けるところもあります。アニメであれマンガであれ、そしてネット上の中傷行為であってさえも、表現者というものは、自らがおこなう表現行為によって、それに触れる人間に何らかの影響を与えようとするものですから。

 しかし、他者の表現行為からある人間が受けた影響や感情、心の傷が、その後に新たな別の表現に触れたりしても、なんら修正されたり新たな影響を受けることなく、死ぬまでそのまま残されるというのは、あまりに硬直した議論だと、ちーけんは思っています。

 実際、前田教授が解説している2つのネット上での名誉毀損事件でも、片方の事件においては、第一審の東京地裁は第1の立場に立って、名誉毀損罪の成立を認めず、被告人に「無罪」の判決を下しています。前田教授は、この第一審の無罪判決を批判し、第2の立場から「ネット上の情報は瞬時に拡散し、名誉毀損の被害は極めて深刻だ」と主張されますが、さてここまで読んでいただいたみなさんには、じつは前田教授と同様の感想を持たれた方のほうが多いのではないでしょうか。

 ちょっと法律の外の世界に目を向けてみれば、近年、例えば9・11同時多発テロの被害者や地下鉄サリン事件の被害者、またJR西日本の尼崎脱線事故の被害者の方などをはじめとして、異常な状況にいることを強制された人間の心には、決して消すことのできない傷(例・PTSD)が残るはずという考え方が、広く受け入れられています。このような一般常識となりつつある考え方については、みなさんの中にも「それは正しい」と思われている方が多いように思います。

 さて、6月に非実在青少年条例が否決、廃案に持ち込まれたにもかかわらず、この12月に東京都が再び都条例改正を目指して条例案を都議会に提出してきた動きの裏には、このような世間の“気分”があるのではないかと思っています。
 青少年がひとたび“有害な性的表現”に触れてしまえば、彼ら彼女らは心に取り去ることのできない“歪んだ性的思考”を植え付けられてしまうはずだ、という――。

 問題なのは、このような考え方が、一般社会で支配的になっているだけにとどまらず、法学界では有力な刑法学者である前田教授が唱えられているとおり、法律を解釈する上での考え方=“法的思考”としても力を持ちつつあることです。
 だからこそ、都条例改正案はゾンビのように甦り、この12月都議会に再提出されたともいえるでしょう。

 今回の都条例改正問題で問題になっているのは、マンガやアニメといった表現分野における「表現の自由」が侵されてしまうのではないかということです。
 伝統的に法律学の分野では、「表現の自由」というものの本質は、「思想の自由市場論」という考え方で説明されています。それは、どのような表現であっても発表の自由を認め、言論や意見、思想として戦わせることで、多様な表現行為の中から“真理”が見つけられるはずという考え方のことです。そのような自由な場を確保するために、「表現の自由」は絶対的に守られなければならないと。

 しかし近時、前田教授の「警察学論集」での主張にも見られるように、法律学の世界でも、一般社会の気分に引きずられるかのように、「良くない表現は最初から発表させてはならない」という考え方が支配的になりつつあるように、ちーけんは感じています。
 表現行為は、他の表現行為と切磋琢磨しあうことでより良くなるはずとちーけんは考えますが、「警察学論集」での名誉毀損事件での前田教授の解説にも見られるように、そして都条例改正案の考え方にも見られるように、人間は“良くない表現行為”に一度でも触れてしまえば、その影響から永久に脱することができないという思考が、社会的にも、そして法的にも支配的になりつつあるように感じます。

 翻ってみなさん自身のことを考えた場合はいかがでしょうか。

 ツイッターでよく流れてきますが、アニメやマンガで“青少年に有害な表現”を規制しようとする改正都条例案を見たときには、「エロいもの読んだからって、それで犯罪に走るヤツなんかいねーよ!」「青少年はいろんなものに触れてこそ成長するってもんだろう!」と思われるのではないでしょうか。
 しかし、ネット上での名誉毀損事件について考えてみたときは、「一度でも掲示板に中傷を書き込まれたら、もうどうやってもその傷は消えない」と思われるのではないでしょうか。

 人間の心の仕組みは、いまだよく解明されていません。
 しかし、法律の世界においては、だからといって、わからないままで放っておくことは許されません。
 人間が存在すれば、かならず人と人のぶつかり合いが生じます。
 法は、そのすべてに何らかの結論を下さねばならないからです。

 その中で今の日本においては、一般社会の“気分”に法が引っ張られる事例が多いような気がしています。
 都条例改正案があわや可決という情勢にあるのも、反対派がいくら「表現の自由が侵される」とその危険性を訴えてもなかなか都民に聞いてもらえないのも、その理由はここにあります。

 前田教授の『警察学論集』での判例解説を読むと、このような一般都民の“感情”を法的に理論化することで、前田教授が都条例推進派のイデオローグとして大きな力を発揮していたことがよく理解できるとともに、この12月都議会で、もし改正都条例案を否決に追い込めたとしても、その先には長く辛い道がまだまだ続いているのだなと思った次第でした。

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Comments

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都条例 
つまり、青少年の場合一度でも(猥雑な表現)に触れた場合、一生記憶に残る(PTSDのように)ということでしょうか。
何かの度に記憶が呼び覚まされ、無意識の行動の規範となってしまう、のでしょうか。

これをきっかけに青少年を取り巻く全てのもの(ゲームなど)に規制が及ぶように思えてならない。
 
 
まあ、何にせよ漫画がキッカケになっているというのは少なからず間違ってないと思いますな。反対にこういう条例ができたから、どこまでが良しとされるのか明確になると見ております。
長い目で見るべきですよ。
 

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